アニメ化されるという辻村深月さん著「かがみの孤城」
近所の本屋さんで、文庫が山積みになっているのが気になっており購入。ながいこと積読になっていたのだけれど、ついに読みはじめたのが11月下旬。
上巻の半ばまでは、過去の状況も飛び飛びにしか出てこず、内容が平坦で読み進めるのに手こずりました。こんなに長い必要あるのか?と疑問に思うところもあり。
また、登場人物が多く、女子は覚えられても、男子のうちの3人は名前と人物が一致せず、もやもやしながら読んでいました。
ただ、上巻の中ほどから、徐々に過去の説明やはらはらする描写も増えてきて、下巻は一気読みできるほどスピード感がアップ!
上巻はボレロのように淡々としていた分、下巻は、天国と地獄の楽曲のようににぎやかにアップテンポで駆け抜けた感あり。
初めての”辻村深月”
私の初辻村深月は、「ツナグ」でした。
忘れもしない2012年11月に旅行したシンガポールからの帰りの飛行機の中で、人目も憚らず、ぼろぼろに泣いてしまった記憶が鮮明によみがえります。泣いた後は余韻にひたり、茫然としすぎて、カバンから家の鍵が滑り落ちたことも気づかず、なくしてしまって家族に迷惑を掛けました…。
特にきらりと嵐の章が、琴線に触れ、涙腺が崩壊しました。
きらりとは、何年も憔悴するほど待ち続けたのに、”「気を付けて」ってあれほどいったのに”という日常会話の延長みたいな会話に思わず涙がこぼれ、嵐は二度と言い訳のできない後ろめたい最後を親友だった友達とあの場で過ごしてしまったこと、ツナグを介した伝言の残酷さ、その思いを抱えながら生き続けることの荒涼とした冷酷さに、胸が締め付けられる思いになりました。
それ以降、そんなに多くの辻村さん小説を読んだわけではなかったですが、心に触れてくる小説家ということで、どこかで気になる方ではありました。
それから「かがみの孤城」を読む前に、「ツナグ 想い人の心得」や「傲慢と善良」、「鍵のない夢を見る」は読了していました。
かがみの孤城、ストーリーは・・・
最初に書いた通り、下巻で思いっきり、スピード感がアップし展開する物語で絵のす。ミステリーの要素に関しては、おそらくこうじゃないかな?と推測できる部分もありますが、個人的には物語に親近感が沸き、愛着が沸くので素敵な構想だと思っています。
時の流れの使い方、そのからくりを生かした上での人へのかかわり方、それがこの小説では、ぐっと心に迫りました。
生きていた時代が違うことで、二度と会えないのではないかという恐怖感は、物語の最後では、それぞれの人間関係の伏線が回収されており、解消されていました。
それぞれの関係性と人へのかかわり方が優しくて、読み終わってからも何度も頭の中で反芻してしまうようなお話でした。
こども同志もそうですが、大人になればなおさら、どうしたって分かり合えない人たちはいるものです。そういうやるせなさも理不尽さもある程度は清濁併せながら人は生きる必要がある、ということを明記してくれていることも、とても重要なポイントとなっていると感じます。
かがみつながり
かがみの孤城は、当然物語を構成するはずせない要素として「かがみ」が使われています。読み進めて感じていたのは、辻村さんは、「かがみ」にかなりの思い入れがあるのだろうなということ。
「ツナグ」でも、かがみは外せない小道具として登場する。なぜ、かがみなのかとぐるぐる考え続けているが、これに関しては自分の推察はまだ追いついていませんが・・・。
ただ、私自身かがみは、すこしおどろおどろしいものとして、扱ってきた。合わせかがみにして7番目の顔はなんとか・・・、とか、手かがみを上向けに置いておいたら、夜中に悪魔がそこから入ってくる、とか。
だから異世界と通じる道具として、潜在的に理解しやすく、想像もしやすいので物語への没入感も高まる気もする。なんせ、かがみの使い方に特徴があるなぁと。
私だったらどこにつながってほしいかな・・・
映画はみない
この年末に映画化されるが、おそらく見ないだろうと思います。
原作をよんで自分の頭の中で想像したイメージの方が面白い気がするから。アニメだから、実写に比べて忠実に再現できるかもしれないが、それはあまり関係ない。
なんせ最近は映像よりも、自分の中の想像力やイメージ力の方がどこまでも膨らむし豊かで楽しい気がしています。
この小説の余韻を自分の頭の中でもう少し反芻していたいです。
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