「対比」が物語を構成する軸
場所の対比
冒頭・前半は、主人公男女が高校生の時代、瀬戸内の小さな島が舞台となる。
そして時が経ち、彼らが大人になるにつれて、東京が加わる。
瀬戸内海の島と東京。
島が舞台の前半部分は、海街の潮風や夏の生暖かい気候、島民の隣組感がありありと目に浮かび、そこに高校生のあふれるエネルギーが相まって、疾走感や力強さと爽快感、そして少しの息苦しさがある。
二人乗りの自転車で感じる風、海辺でみようとする花火大会の暑さと湿度。プラスの感情として追体験できる。
一方で、社会人になって東京が加わってくる時の、徐々に何かが壊れ、蝕まれていく。不穏な空気感。この場合の東京は、「都会」と「田舎」を対比した典型的なよくある場面設定ではあるけれど、それ以上に東京が魂や命を擦り減らす酷いイメージが湧いてくる。
瀬戸内の場面もそれは相当にひどいものもあったが、人の憎悪や怨念のレベルが桁違いという感覚だ。読んでいてとてもひりひりする感覚でつらかった。
この対比は、前半のエネルギー溢れる島と退廃的な東京という感じで、読む側を心理的に揺さぶってうまく印象付けることができているなと振り返って改めて思う。
才能の開花時期の対比
もう一つの対比は、主人公男女の才能の開く時期が真逆ということだ。
才能がわかいうちから開花する人生と、コツコツ積み重ねて人生の中盤以降に急カーブを描いて開花する人生。
主人公の2人がたどる人生が真逆で、読者としても、すれ違っていくのがもどかしくて、最初は焦りを感じるが、徐々にあきらめに変わっていくのが切ない。
これは自分ではコントロールできない、もともと持って生まれたものだろうからやるせなくなる。
どちらがいいか?幸せか?ということでもなく、これは持って生まれたもの。
抗えない以上、受け止めるしかないということなのか。この二人のたどる相容れない道がせつなく物語を印象付けている。
心理描写のリアルさ
凪良ゆうさんは、人の心理、心情を見てきたように描くことがとてもうまいと思う。小説内の人物に乗り移ったかのように書けるのだ。
例えば、主人公の男性が、忙しすぎて彼女を適当に扱ってしまうときの心情。突然電話で彼女を呼びつけた時。相槌がうわの空の時。
私は人にした覚えはあまりなく、自分がそうされた時「どういうこと?」と思う方だが、そういう時の相手の心情は「なるほどこういうことだったのね」と妙に感じ入って理解できたのだ。
ただ、それなら仕方ないね…、とは到底思えず、「いい加減にして!」と叫びたくなる気持ちもよくわかってしまう。個人としては多忙すぎると心がどこかに置いて行かれることを、改めて深く刻んだ
双方の心情を見てきたようにかけてしまう作者に脱帽してしまう。
このようなリアルなそれでいてすっと入ってくる書き方は、とても個人の感覚となるが(このブログ文章全部がそうだが💦)、若かりし頃はまって読んだよしもとばななさんにとても似ている。
最近に近いものではなく、それこそ「キッチン」「ムーンライトシャドウ」などの時期のもの。
これらを読んだ時の感覚にシンクロする。
私の中のよしもとばなな最高傑作は「ムーンライトシャドウ」だ。
よしもとさんの本は今知らない人がしるかもしれないが、これらの本は傑作中の傑作だ。ぜひお手に取ってみてほしい。
移ろいやすい人の心、でも核はぶれない
東京と瀬戸内の島。離れ離れになった二人は、それぞれに自分の生活を確立してく。当然、それぞれの新しい人間関係も生まれていくし、心も移ろっていく。驚くほど軽いタッチの関係も築いていくが、救いなのは、本命はお互いにずっと忘れず変わらないこと。
もしも、ここが少しでもぶれたり、ここに感情移入できなければ、この物語は成り立たないと思う。いつも同じように上っては沈んでいく夕星のように、見え隠れはするが消滅してしまうことはない。
読者に最後に残るもの
凪良ゆうさんのほかの作品「私の美しい庭」、「流浪の月」も「汝、星のごとく」を読む前によんでいた。前2冊は、読了後、希望をもてやさしい気持ちになった。しかし、「汝、星のごとく」に関してはやるせない気持ちが勝っていた。ただそこから生まれてきたのは、すっくと立ちあがらなければとおもう強い気持ちと、自分の足で立ち続けることの決意のようなものだった。
物語としては、やるせなくて悲しさがかなりを占めるものだった。でも生まれた感情は、強さや決意のような、何か救われるようなものだったのが不思議でもあり、尊い感じがしている。
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